冬の沖縄のホテルで一人、ひたすら考えて出した答えはロースクールを受けてみるということでした。もし受かったら議員をやめて勉強しようと。誰かの言いなりになるんじゃなくて自分で力をつけて、自分できちんとものが言えるようになって、もう一度帰ってきてやるという気持ちでした。年が明けて地元・岡山大学のロースクールを受験し、結果は合格。ですが、実際に議員をやめるとなると大変でした。非難されたし、もう一期、二期やって国会議員になればいいとかいろんな意見を言われましたが、それはできませんと言ってなかば喧嘩のようにやめたのです。
自分でやめると決めてやめたものの、不甲斐なさや後ろめたさはあって、それからはもうずっと下を向いて地の底を這うような生活をしていました。この気持ちは2年前にもう一度、選挙に出るまでずっとありました。やめたことへの後悔ではなく、あの4年間、もうちょっとできたことがあるんじゃないかという思いが自分のなかにあって。逃げ出しちゃったみたいなところもありましたし。だからずーっと引っかかっていました。
議員をやめて、政治とは完全に距離を置き、20年間岡山で平穏な生活を送ってきました。子育ても経験しました。そしてその子育ての中で、否応なく様々な社会的課題に直面しました。これまたご縁もあり、40歳になって始めた家庭裁判所の調停委員の仕事でも、若くして離婚するご夫婦とその間に置かれた幼い子どもたちの姿を見て、この子たちの未来にはいったいどんな生活が待ち受けているんだろうか…と。自己責任では片づけられない、政治で解決すべき問題をたくさん目の当たりにしました。
そんな時に岡山県議会が全国で唯一、選択的夫婦別姓反対意見書を可決したというニュースが飛び込んできました。かつての同期の議員に聞いたところ、しっかりとした議論が交わされたわけではなく、気づけば決まってしまっていたと。採決当日の傍聴人の数やマスコミの対応を見て、これはまずかった…と後になって反省した、と話しているのを聞いて、自分の中で怒りが爆発しました。あぁ、20年経っても政治は何も変わっていない。このままではまたここから20年、政治は変わらないのかもしれない。その怒りが、2年前の県議再挑戦へと繋がりました。生活を扱う政治に性別の偏りがあるからこうしたことが起きるし、本来は優先して解決しないといけない課題が後回しになってしまっているのではないでしょうか。
政治に必要なものがようやく見えてきました。いまは選挙の準備ではなく、政治の準備ができています。私自身、20代で政治家になって限界を感じたからこそ、若い人がもっと出てきてほしいし、仲間としてサポートもしていきたいですね。回転ドアのようにもっと気軽に軽やかに女性や若者が政治の世界に出入りできるようにしないと、政治自体が変わらないと思っています。
「子ども達に『この世は生きるに値するものだ』ということを伝えるために仕事をしている」。これはスタジオジブリの宮崎駿監督の言葉です。目の前に、娘や学生という、この社会を、この世界の次のバトンを渡す大切な人が存在します。今、私にできることは、まさにこの言葉に凝縮されています。すべての人が持って生まれた才能をきちんと開花させて発揮することのできる社会の実現を目指し、私も自分にできることを、皆さんと一緒に積み重ねていきたいと思っています。
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