山本満理子の「政治と私」〈前編〉

「学生時代から政治家を志していたのですか?」

時々、こうした質問をいただくことがあります。

私は大学を卒業してすぐ松下政経塾に入り、卒塾直後に行われた岡山県議会議員選挙に出馬し、当選することができました。27歳の県議会議員は当時、全国でも最年少。こうした経歴だけ見れば、政治家志向が強かったのだろうと言われるのも当然だと思います。けれど、実際は政治家になるなんて考えてもいませんでした。政治家どころか、当時の彼氏と結婚して専業主婦になりたい…なんて考えていたくらいです。そんな私がなぜ政治の道に入ることになったのか、自己紹介もかねてつらつらと書いてみようと思います。

私は小学校の修学旅行で訪れて以来憧れだった京都で学生時代を過ごしました。そんな在学時代、隣県で発生した神戸連続児童殺傷事件(1997年)を機に、少年法の改正議論が沸き起こりました。法学部にいた私は議論を聞きながら、厳罰化したところであのような犯罪を抑止できるのだろうかと疑問を持ちました。それより、教育が大事なんじゃないかと。当時は就職をイメージできなかったこともあって、大学院で教育を勉強しようかなんてぼんやりと考えていました。何を調べるともなくネットサーフィンしていたら、あるバナー広告にふと目が留まりました。それが松下政経塾だったのです。

気になってクリックしてみたら、不登校の支援をしている開善塾教育相談研究所の藤崎育子さんの記事が出てきました。藤崎さんは松下政経塾の卒塾生です。興味を持った私はすぐにアポイントメントを取って、藤崎さんに会いに行きました。そこで藤崎さんから「大学院は机上の空論になりがちだけれど、政経塾は現地現場主義を掲げていて、いろんな現場に出て行って学べるから、絶対いいと思うよ」と勧められ、じゃあ受けてみようとなったのです。今振り返ると、随分軽いノリでした。

入塾試験の最終面接で当時の塾長から「政治をやる気はないのか」と尋ねられたこともありましたが、政治をやるつもりは一切ないと答えていました。なぜなら、私の親族家族には誰一人政治家もいない、それまでの人生で政治には一切縁もなく、選挙の手伝いをしたこともない・・・自分が政治家をするなど1ミリも想像できなかったからです。実際入塾してみると、同期をはじめ、政治を目指す塾生はみんな変わり者ばかりで、とてもじゃないけど、こういうメンバーが政治を目指すということは、私には政治は絶対に向いてないと心底思いました(笑)。

松下政経塾では3年間、教育をテーマに活動していましたが、私の卒塾は2003年3月。翌4月に統一地方選挙がちょうど控えているというタイミングでした。私の地元の岡山県にも松下政経塾出身の国会議員の方がいらして、選挙に出ることを考えてみないかと、卒塾の1年ほど前に声を掛けていただきました。

「無理です、嫌です、できません」。私は1年間ひたすら首を横に振り続けました。ただ、何度も何度も説得されるうち、疲れてしまい首を縦に振ってしまったのです。魔が差した、としか言いようがありません。が、当時26歳。「失うものはない!26歳でこんな経験できるのもあまりないことかもしれない。落ちたらまた県外に出ればいいや」という思いも自分の中にあったんだろうと思います。こうして神輿に担がれ、初めての選挙運動に突入していきます。


(中編に続く)